差を運ぶ経済、差を作る経済 ― 裁定と分業から見る取引の基礎理論

裁定は、いまある差を運んで消す。分業は、差そのものを作り出す。

 商業は場所を、金融は時間をまたいで価値の差を取引している——という直観を、経済学の中核につなげて整理する。

この記事の要点

  • 商業は「場所を変えると価値が変わるもの」、金融は「時間を変えると価値が変わるもの」を取引している、という直観は経済学の中核にそのまま対応する
  • 場所・時間に加えて「状態(リスク)」「情報」「形態」という軸がある
  • 裁定は既にある差を利用して消す営み、分業は差そのものを作り出す仕組みである
  • スミスの分業論では、差は取引の原因ではなく結果である

1出発点となる直観

経済の取引は、あるところにはたくさんあるが別の場所にはほとんどないものを運ぶことで成立している。運べば利益になる。

同じように、金融取引は時間を変えれば価値が変わるものを取引していると言えないか。

この見方は、アロー=ドブリューの一般均衡理論における財の定義と一致する。この理論では、財を次の4つで定義する。

  1. 物理的性質
  2. 場所
  3. 時点
  4. 状態どの事態が起きたときに受け取るか

東京のリンゴと青森のリンゴは別の財であり、今日の1円と来年の1円も別の財である。したがって商業も金融も、同じ交換の理論で扱える。

2共通の土台

概念内容
裁定と一物一価の法則価格差があれば運ぶ(待つ)ことで利益が出て、その行為が価格差を消していく
主観価値説(メンガー)交換は、同じものへの評価が主体間で違うから成立する。場所や時間はその違いの源泉の一つ

3取引の5つの軸

軸差の源泉担い手代表的理論
空間資源や生産条件の偏在商業・貿易・物流比較優位、要素賦存理論、空間価格均衡
時間時間選好、投資機会銀行・債券市場フィッシャーの利子論、現在価値、期間構造
状態リスク負担能力の違い保険・デリバティブアロー証券、無裁定価格理論
情報知識の偏在企業家・仲介者ハイエクの知識論、カーズナーの企業家論
形態技術・技能の違い生産者生産関数、分業論

補足すると、金融は時間だけでなく不確実性も取引している。保険やデリバティブは「どの状態で受け取るか」の交換である。また、価格差が残り続けるのは知識が偏在しているからで、それを見つけるのが企業家だという見方がある。

なお、マーケティング論の古典には形態・場所・時間・所有の「4つの効用」という整理があり、上の表に近い発想である。

4分業を加えると何が変わるか

裁定は「既にある差を利用して消す」営みである。これに対して分業は「差そのものを作り出す」仕組みである。両者を合わせると、静的な交換論が成長の理論に変わる。

観点裁定分業
差の扱い所与の差を利用する差を作り出す
帰結価格差が消え均衡へ生産性が上がり成長へ
性格静的・配分の効率動的・累積的
規模の効果収穫一定で成立収穫逓増が本質
制約輸送費・取引費用市場の広さ、調整費用
代表者リカード、サミュエルソンスミス、ヤング、ローマー
互いへの役割市場を広げ分業を可能にする取引の種となる差を供給する

空間の軸との結合

スミスは「分業は市場の広さに制限される」と述べた(『国富論』第1編第3章)。輸送や商業が市場を広げ、それが分業を深め、新しい差と取引を生み、さらに市場が広がる。この累積的な循環は、ヤングの収穫逓増論、クルーグマンの新貿易理論、ローマーの内生的成長論へつながる。

時間の軸との結合

分業には、成果が出るまでの間を支える事前の蓄積が要る(第2編序論。時間をかけて生産するという点で、のちの迂回生産の考え方に通じる)。金融は時間をまたぐ交換によってこれを可能にする。また、特化するほど特定の市場に依存してリスクが増すので、保険などリスクを移す取引も必要になる。貨幣も、分業が生む交換の困難を解く道具として説明されている(第1編第4章)。

限界と緊張

5差は原因ではなく結果

スミスの主張の核心は因果の向きの逆転にある。リカードは「差があるから特化する」と考え、スミスは「特化するから差が生まれる」と考える。

5.1 スミス自身の議論

『国富論』第1編第2章で、スミスは因果を次の順に置く。

交換する性向 → 分業 → 才能の差

哲学者と荷運び人は幼少期にはほとんど違わず、差は天性よりも習慣・慣習・教育から生じる、というのがスミスの見立てである。交換ができるからこそ人は一つの仕事に専念でき、専念が差を育てる。

5.2 因果構造の対比

観点リカード型スミス型
因果差 → 特化 → 交換交換 → 特化 → 差
差の性質外生(気候、資源、所与の技術)内生(学習、熟練、投資)
同質な主体間交換の利益なし交換の利益あり
利益の源泉機会費用の違い収穫逓増
誰が何に特化するか一意に決まる偶然や歴史で決まりうる
時間の扱い静学動学、累積的

5.3 なぜ同質でも利益が出るか

スミスは第1編第1章で、分業が生産性を上げる理由を3つ挙げている。

源泉内容後の理論
熟練同じ作業の反復で腕が上がる学習効果(アロー、1962年)
切替時間の節約作業を移る際の損失がなくなる段取り費用、固定費用
機械の発明一点に注意が集まり工夫が生まれる内生的技術進歩(ローマー)

有名なピン工場の例では、分業した10人が1日に4万8千本を作る一方、1人で全工程をやれば20本も作れないとされる。

5.4 数値例

まったく同じ能力の2人が、財XとYを各10時間で作るとする。特化すると熟練によって時間あたり生産が1から2に上がると仮定する。

状況Aの生産Bの生産1人あたり消費
自給自足X5、Y5X5、Y5X5、Y5
特化と交換X20Y20X10、Y10

事前には2人の機会費用は同じなので、リカードの枠組みでは交換の理由がない。特化した後に初めて「AはXが得意」という比較優位が現れる。つまり比較優位は出発点ではなく到達点である。

5.5 ここから導かれること

歴史依存性
AとBのどちらがXを担うかは理論上決まらず、初期の小さな偶然が増幅され固定化される
似た国同士の貿易
先進国間の産業内貿易は、差を前提とする理論では説明しにくく、収穫逓増による新貿易理論(クルーグマン)が説明した
人的資本
技能への投資は使う頻度が高いほど報われるので、特化が合理的になる(ローゼン、1983年)
政策論
比較優位は育てられるという発想(幼稚産業保護論、動学的比較優位)の根拠になる

5.6 留保

6まとめ

場所・時間・状態をまたぐ取引は、分業を可能にする基盤である。分業は、その取引の種となる差を絶えず供給する。両者は相互に強化し合う関係にある。

【図】取引と分業の累積的な循環

青は差を運ぶ側(裁定・取引)、朱は差を作る側(分業)。取引機会の増加が市場の拡大へ戻り、循環が続く。

続けて読む:分業の弊害と知財業務の再統合

文献参考文献

原典

論文