事例集 | 標準化 × FTO

PNGは、特許を避けて設計された

PNG の可逆圧縮は「予測して差分を取る」と「繰り返しを参照に置き換える」の二段でできています。この二段のどちらにも、特許を踏まないための選択が入っています。仕組みを手で動かして確かめてから、GIF/LZW 騒動を起点にした規格の成り立ちを知財戦略として読みます。

1. 仕組み:予測してから、圧縮する

画素の行 スキャンライン ① フィルタ 行ごとに5種から選ぶ 値 → 予測との差分 ② DEFLATE LZ77 + ハフマン符号 zlib形式・Adler-32 IDAT チャンク 各チャンクにCRC-32 差分は0付近に集まる 集まった値ほど短く符号化

① フィルタ(行ごとの予測変換)

画像を1行ずつ処理し、各画素を「周囲から予測した値との差分」に置き換えます。隣り合う画素は値が近いことが多いので、差分は0付近に集まり、後段で縮みやすくなります。予測の仕方は行ごとに5種類から1つを選びます。以下の表で、a=左、b=上、c=左上の画素を指します。

種類予測に使う値
None予測しない(値をそのまま使う)
Sub左の画素 a
Up上の画素 b
Average左と上の平均 ⌊(a+b)/2⌋
Paeth推定値 p=a+b−c に最も近いものを a・b・c から選ぶ

どのフィルタを選ぶかはエンコーダの裁量です。仕様は復号の仕方だけを決め、選び方は決めていません。そのため、同じ画像でもエンコーダによってファイルサイズが変わります。よく使われる目安は、差分の絶対値の合計が最小になるフィルタを選ぶ方法です。下で試せます。

フィルタを切り替えて、差分がどれだけ0に寄るかを見る
8画素×2行のグレースケール。上の行を参照に、下の行をフィルタにかけます。差分は −128〜127 の符号付きで表示しています(実際のファイルでは256で割った余りを1バイトで格納します)。
画像の種類
フィルタ

② DEFLATE(LZ77+ハフマン符号)

LZ77:直前32KBの範囲に同じバイト列があれば、「何バイト前から、何バイト分」という参照に置き換えます。
ハフマン符号:出現頻度の高い記号に短いビット列を割り当てます。フィルタで差分が0付近に集まっていると、ここがよく効きます。

圧縮データは zlib 形式(Adler-32 のチェックサム付き)で IDAT チャンクに格納され、チャンクごとに CRC-32 で保護されます。

2. 規格の成り立ち:GIF/LZW 騒動

技術・規格 特許・紛争

  1. 1983 出願/1985 登録Welch の LZW 特許(US 4,558,302)。のちに Unisys が保有する。
  2. 1987CompuServe が GIF を公開。圧縮方式に LZW を採用した。
  3. 1991Alan Paeth が Graphics Gems II で予測フィルタを公表する(のちの Paeth フィルタ)。
  4. 1992〜93gzip が登場し、PKZIP 2 が DEFLATE を採用する。どちらも LZW を使わない圧縮系統。
  5. 1994年2月Stac v. Microsoft。LZ 系圧縮の特許(US 4,701,745 など)をめぐる訴訟で、陪審が Stac 勝訴の評決を出す。
  6. 1994年12月末Unisys と CompuServe が GIF のライセンス方針を発表。GIF を扱うソフトに LZW の使用料がかかることになり、「GIF 騒動」が起きる。
  7. 1995年1月特許フリーの代替として PNG の設計が始まる。
  8. 1996PNG が W3C 勧告になる。同年、DEFLATE の仕様書 RFC 1951 が公開される。
  9. 2003年6月/2004年LZW 特許が米国で満了し、翌2004年にはその他の国でも満了する。
  10. 2004ISO/IEC 15948 として国際規格になる。
  11. 2025年6月第3版が W3C 勧告になり、APNG(アニメーション PNG)と HDR に正式対応する。

3. 二段のどちらにも「避ける」判断が入っている

避けた:LZW を使わず DEFLATE を選ぶ

GIF の問題は LZW 特許そのものでした。PNG は圧縮を DEFLATE に切り替えましたが、LZ77 系にも周辺特許が多く、Stac が Microsoft に勝った直後という状況でした。DEFLATE の仕様書 RFC 1951 は、特許で保護された方式を使わずに実装できることを設計目標として明記しています。「LZW でなければ安全」ではなく、使う系統の中でも踏まない実装が可能であることを確かめてから採用した、という順序です。

公開されていた:Paeth フィルタ

Paeth は予測手法を1991年に書籍で公表していました。公表された時点で先行技術になるため、後から誰かが同じ手法で特許を取ることはできません。PNG は、すでに公開済みの手法を選んで規格に入れています。

いまのリスクの所在:規格ではなく実装の層

基本方式に関わる特許リスクは実質的に解消しています。一方で、DEFLATE のハードウェア高速化や、エンコーダの最適化(フィルタの選び方、LZ77 の一致探索など)の周辺では今も出願が続いています。規格を使うこと自体ではなく、速く・小さく作る実装技術の層に特許が残っている、という構図です。上のデモで「選び方はエンコーダの裁量」だったことが、そのまま差別化と権利化の余地になっています。

PNG は、設計段階で FTO を済ませてから標準化し、公開済みの手法で空白を埋めた。その結果、使用料を求めた GIF を市場から置き換えた。

知財戦略として読むと

4. 比べると面白い、次の事例

形式特許との関係比べる観点
GIFLZW 特許の使用料(Unisys、1994〜)普及後の権利行使
JPEGForgent 社が2002年ごろから特許(US 4,698,672)に基づく使用料を主張国際標準に後から主張される特許
PNG設計段階で回避、公開済み手法を採用FTO 前提の標準化
WebP/AVIFロイヤリティフリーの特許ライセンスを付けて配布(AVIF は AOMedia)。ただし AV1 には第三者のパテントプールも立ち上がっているロイヤリティフリーを「宣言」する戦略と、その限界

事例の読み方は 知財ビジネスモデル図鑑、FTO の工程は FTO調査 × AIエージェント を参照。

典拠と確度

主張典拠確度
フィルタ5種・Paeth の定義・zlib・CRC-32PNG 仕様(W3C 勧告/ISO/IEC 15948)一次
DEFLATE の窓32KB、特許を回避して実装できるという設計目標RFC 1951(1996)一次
LZW 特許 US 4,558,302、米国2003年・他国2004年満了米国特許公報/Unisys の告知一次
1994年末のライセンス方針発表と PNG の設計開始(1995年1月)PNG 仕様書の経緯、当時の報道一次+報道
Stac v. Microsoft(1994年2月の陪審評決)当時の報道・判決記録報道
Paeth, Graphics Gems II(1991)PNG 仕様の謝辞・参考文献一次
第3版(2025年6月)で APNG・HDR に正式対応W3C PNG Third Edition一次
DEFLATE ハードウェア高速化・エンコーダ最適化の周辺で出願が続く一般的な動向。個別の公報番号は未確認筆者の読み