2週間前、私は「AIは特許出願を溢れさせない」という記事を書きました。配信では逆に「大量出願はもう起きていると思う」と話しました。 どちらが正しいのか、自分で数え直しました。五つの特許庁の一次資料にあたった結果、 結論は残りましたが、根拠はほぼ全部入れ替わりました。そして日本について、私は二つ間違えていました。
このテーマは噂と推測が入り混じっています。だから数字ごとに、どこから来たものかを明示します。
「推測」に格下げした話が、この記事にはいくつもあります。そのうち一つは、私自身が広めかけたものです。
2025年12月、日本の特許出願は 82,188件。前年同月比 +168.9%、およそ2.7倍です。 月間4万件超は2020年以降で初めてでした。この数字だけを見て、私は「構造変化が始まった」と受け取りました。
翌月を見ていませんでした。
| 月 | 特許出願件数 | 前年同月比 |
|---|---|---|
| 2025年11月 | 30,507 | +35.6% |
| 2025年12月 | 82,188 | +168.9% |
| 2026年1月 | 20,776 | ▲2.8% |
| 2026年2月 | 22,505 | +2.2% |
| 2026年3月 | 34,442 | +1.0% |
| 2026年4月 | 23,653 | +7.8% |
| 2026年5月 | 20,511 | ▲5.2% |
| 2026年1〜5月 累計 | 121,887 | +0.7% |
一次特許庁「特許出願等統計速報」より。 翌月には2万件台の平常水準に戻り、5か月累計で+0.7%。完全な横ばいです。
さらに決定的な計算があります。2025年の年間増加分は +51,462件。 そして12月単月の増加分だけで約+51,600件。 年間の増加は、ほぼ全量が12月の一か月で説明できてしまいます。
報道では、特許庁は取材に「出願人などの詳しい情報には答えられない」と回答したとされています。 私はこれを「特許庁は原因を説明していない」と受け取りました。審議会の議事録を読んでいませんでした。
特許出願件数については、特定の企業の大量出願の影響により、2025年度は前年度からプラス16.3%程度と大きく増加
産業構造審議会 知的財産分科会 財政点検小委員会 第12回(2026年6月1日)総務課長発言
一次 委員から「この特定企業の影響を除けば例年どおりと理解してよいか」と問われ、総務課長は 「例年どおりだと思います」と答えています。
日本弁理士会のオブザーバーが「5万件分の手数料は約7億円になるが、納付されたのか」と質した場面もあり、 「納付されていると承知している」との回答が記録されています。 ——捨て出願ではなく、費用を払った出願だった。
そして2024年11月の議事録には、過去の波についてこう記録されています。会社名は伏せるが 「AI関連の企業からの出願」である、と。
2023年9月に約1万件、2024年7〜8月に約1万件、そして2025年12月に約5万件。 2025年8月の出願が前年比▲30.9%と落ち込んでいたのは、前年の波の反動でした。 単発の異常値ではなく、同じ出願人がときどき起こす波だったと読めます。
この急増をソフトバンクグループに結びつける見方が、業界に広く流れています。私も当初そう書きかけました。 順に切り分けます。
特許出願は出願から18か月間公開されません。つまり2025年12月に出された分が世に出るのは、2027年半ば以降。 現時点では、誰がどれだけ出したのかをJ-PlatPatで確かめる手段そのものがありません。
「たぶんあの会社だろう」は、2027年まで検証不能な推測です。 私はこれを事実として書きかけました。書く前に気づけたのは、議事録を読んだからでした。
| 2024年 | 2025年 | |
|---|---|---|
| 特許出願 | 306,855 | 358,317 |
| 審査請求 | 228,456 | 223,235(減少) |
一次特許行政年次報告書2026年版より。 出願が5万件増えたのに、審査請求はむしろ減っています。12月単月の審査請求も18,481件で平常水準でした。
権利化を目指す出願が増えたのではありません。増えたのは「出しただけ」の出願です。 ——これは、私が2週間前の記事で書いた「審査は溢れていない。しかし入口は溢れている」と、むしろ一致します。
結局、日本で起きたのは 「AIが万人の出願コストを下げた」話ではなく、「1社が5万件出すと決めた」話でした。 反例ではなく、別の現象です。
では本当に何も起きていないのか。起きています。ただし日本ではなく、そして総数でもない場所で。
| 法域 | 非代理・自己出願の動き | 証拠 |
|---|---|---|
| 豪州 | 自己出願の仮出願 +174〜193% 自己出願比率 27% → 52%(初の過半数) 新規出願人比率 42% → 63% |
一次特許庁の年次報告書 |
| 英国 | 非代理出願 2,354 → 6,581件(+260%) 比率 12.4% → 29% 代理人経由は ▲3% |
二次実務家のFOI請求 |
| 韓国 | 個人出願 +150% うち 約70%が自己出願 |
一次特許庁長官の発言 |
| 日本 | 該当せず。増加の98%が内国人の企業出願 | 一次年次報告書 |
| 米国 | 該当データが存在しない | 欠測FY2022で停止 |
豪・英・韓の3法域で、まったく同じ形が出ています。 代理人経由は横ばいか減少、非代理だけが激増。しかも増えているのは 「これまで一度も特許を出したことがない人」です。偶然の一致とは考えにくい。
| 国 | 入口=仮出願 | 審査=本出願 |
|---|---|---|
| 米国 | +26.3%(過去最高) | FY2026は ▲0.7% |
| 豪州 | +58.1% | ▲0.5% |
| ニュージーランド | +79% | ▲4.4% |
仮出願は「出せば日付が取れる」形式性の緩い手続きです。だからAIが効く。 審査を通す明細書とクレームは定型ではない。だから効かない。境界は、思ったより手前に引かれています。
一次韓国の知識財産処長官は、2026年上半期の出願急増を 「AI技術がもたらした産業現場の急激な変化を示す指標」と公式に述べています。
さらに韓国は2026年6月、「AI時代の正しい特許出願案内書」を配布しました。 幻覚により実在しない技術や虚偽の効果が生成されうると警告し、 AIが捏造した実験結果を真正なものとして提出する行為は虚偽行為の罪にあたると明記しています。 今回調べた範囲で、これが唯一の公的な対抗措置でした。
米国の訴訟研究はAI検出器を訴状にかけて数字を出しました。 明細書に対して同じことをした研究は、どの国にも存在しません。
観測されているのは「自己出願が急増した」という事実であって、 「それがAIで書かれた」ことは未検証です。豪州の弁理士自身が、 生成AIの助けを借りて起案されたと見える公開出願を見つけられなかったと書いています。 仮出願は公開されないため、確かめられるのは12〜18か月先です。
ここが今回いちばんの発見でした。
USPTOのAI利用ガイダンス(2024年4月)は、AIが既に明細書もクレームも起案できることを公式に認めています。 そのうえで、利用に禁止はなく、利用をUSPTOに開示する一般的義務もないと明記しています。
USPTOは「AIで起案された出願」を数える手段を持っていない、ということです。 隠しているのではありません。構造的に測定不能なのです。
連邦官報を全文検索しても AI-drafted も AI-generated patent application も0件。 USPTO自身が予算要求で示す出願量のモデルに挙がっている要因は、実質GDP・海外動向・判例・政策・プロセス効率・出願人行動で、 AIは入っていません。
したがって「USPTOが認めていない」ことは、反証になりません。測る道具を持っていないだけです。 ——この区別は、この論点を語るうえで決定的だと思います。
ついでに一つ、実務家の反論に備える材料も見つけました。USPTOの財務報告書のリスク一覧は 「想定外の出願水準」と「新興技術の急速な進展」を並列の別リスクとして並べています。 同じ文に置きながら、一方を他方の原因にすることを避けている。
滞貨が記録を更新したことは、しばしば「出願が溢れた証拠」として語られます。 現USPTO長官が、真っ向からそれを否定しています。
滞貨は2020年の576,103件から2025年1月の837,928件へ、261,825件増えた。
一次Squires USPTO長官 AIPLA年次総会での講演(2025年10月31日)
——にもかかわらず、同じ期間に年間出願件数は8,000件以上「減って」いる。
長官が原因として挙げているのは、内部の資源配分の失敗です。 審査官を審査業務に戻し、出張を絞り、契約を見直し、1,100人を新規採用する——というのが処方箋でした。 入ってくる出願のせいだ、とは言っていません。
このテーマには、USPTOが言ったことになっているが実は違うという話が複数流通しています。 調査中に三つ見つけました。
唯一、USPTO側の人物が「AIが制度を圧倒しうる」と述べた場面はあります。 Squires氏がまだ長官候補だった2025年5月の指名承認公聴会で、 「AIツールが蓄積され、制度を容易に圧倒しうる」「AIに寄りかかることで、生じつつある非対称は消せる」と述べました。 ただし条件付きの将来形であり、「出願が増えている」とは言っていません。これが最も強い材料で、それでもこの程度です。
| FY | 新規出願 | 審査の出力(FAOM) | 審査官数 |
|---|---|---|---|
| 2019 | 447,992 | 600,453 | 8,125 |
| 2022 | 457,576 | 487,227(▲18.9%) | 8,204 |
| 2025 | 475,223 | 585,808 | 8,524 |
一次USPTO Workload Tables より。 同じ期間の入力増はわずか+2.1%。崩れたのは出力のほうでした。 USPTO長官自身も、原因として①1件あたりの審査時間を増やしたこと ②コロナ予測に基づく採用抑制 ③技術系人材の労働市場、 と三つとも供給側を挙げています。
ここまでで一つ、行動につながる発見があります。
英国の +260% という数字は、UKIPOが公表していたものではありません。 ある特許事務所が情報公開請求(FOI)をして、初めて出てきた数字です。
そして他の法域で現象を可視化した統計は、すべて「非代理出願の件数」でした。 米国のその統計はFY2022で止まっています。
「AI起案かどうか」は測定不能ですが、「代理人が付いているかどうか」は事務処理上の属性なので、必ず記録されています。 USPTOに対して2023〜2026年の月次・非代理出願件数を、仮出願と本出願に分けて請求すれば、 この論点は白黒がつきます。
ひとつ注意点があります。USPTOは2026年7月20日施行の規則で外国出願人に米国代理人の選任を義務化しました。 非代理出願の外国分は、そこで構造的に遮断されます。時系列を見るなら、この日に断層が入ることを織り込む必要があります。
配信で私は「大量出願はもう起きていると思う」と言いました。半分外れていました。 起きているのは総数の氾濫ではなく、入口の氾濫です。そして日本で見えていた数字は、 その話とは別の現象でした。
ただ、いちばん学びになったのは数字そのものではありません。 「統計が無い」を「起きていない」と読むのも、「隠している」と読むのも、どちらも早いということでした。 測る道具が無いだけ、ということがある。そして道具が無いなら、請求して作らせる手がある。