生成AIの普及で、米国の連邦民事訴訟における本人訴訟(pro se)が25年ぶりに定常状態を破った。 MITとUSCの研究者が450万件の事件記録と4,600万件のPACER記録で実証している。 ところが同じ研究は、特許事件ではそれが起きていないことも示している。 なぜ片方だけ溢れるのか。答えは、米国が165年かけて特許庁の門に積み上げてきた「代理」の制度史にある。 そして2026年7月20日、その門はもう一段狭くなった。
2023年2月、ヒューゴー賞を5度受賞したSF誌 Clarkesworld が投稿受付を一時停止した。 投稿数が平常の5倍に膨れ上がり、編集能力が追いつかなくなったからだ。原因はLLMだった。
「これらのツールを使えば、人間の書き手が1本か2本書く間に何十万本も量産できる……いま我々の前にあるのは、叫び続ける幼児でいっぱいの部屋だ。聞きたい相手の声が聞こえない」
Neil Clarke(Clarkesworld編集長)2023年2月21日 — Shah & Levy (2026) 冒頭引用より雑誌は編集者を増やせる。裁判所は増やせない。米国の連邦判事(Article III judge)の定数を増やせるのは議会の立法だけで、 その増員は何十年も緩慢にしか進んでいない。しかも連邦裁判所は、訴えを「まとめて受け付けない」という選択ができない。 生成AIが本人訴訟のコストを劇的に下げたとき、その負荷を吸収する余地が構造的に存在しない。
Anand V. Shah(マサチューセッツ工科大学)と Joshua Y. Levy(南カリフォルニア大学)による Access to Justice in the Age of AI: Evidence from U.S. Federal Courts(2026年3月)。 FY2005〜FY2026の非受刑者連邦民事事件450万件超と、それに紐づくPACERドケット記録4,600万件を突合した研究である。 受刑者訴訟と組織的な大量提訴(製品リコール等)は、性質が異なるため除外されている。
本人訴訟の権利は、米国で最も古い制定法上の権利のひとつだ。1789年司法法第35条権利章典より1日古い。 そして Gough & Taylor Poppe (2020) が示したとおり、1999年から2018年まで、連邦民事の本人訴訟率は約11%で動かなかった。 リーマンショックも、オバマケア訴訟の波も、トランプ第1期の移民訴訟急増も、この数字を動かさなかった。 論文はこれを「remarkably unremarkable(驚くほど平凡)」と呼ぶ。
安定の理由は構造的な障壁だった。連邦民事訴状を出すには、正しい管轄根拠を特定し、却下申立てを生き延びるだけの事実を主張し、事件類型ごとに異なる手続要件を捌く必要がある。要するに、素人には難しすぎた。
AI検出は Pangram Labs の検出器を用い、2019〜2026年から無作為抽出した訴状1,600件に適用。 pre-AI期(2019–2022)は800件中わずか1件(0.1%)の検出にとどまり、これが偽陽性率のキャリブレーションになっている。
本人訴訟率は FY2022に11.6%、FY2023は11.4%(横ばい)、FY2024で14.5%、そして FY2025に16.8%。 論文は「一年限りの異常値ではなく、連続的で急な変化」であり「25年間で前例がない」と述べる。 同じ期間、訴状のAI検出率は 0.1% → 1.0%(2023)→ 3.5%(2024)→ 10.5%(2025)→ 18.0%(2026年初)と単調に上昇した。 2026年初頭には、およそ5通に1通の訴状が、検出器にAI生成と判定されるテキストを含んでいる。
「素人が自分でやるのだから、簡単な事件が早く終わるだけでは」という反論は、データに否定されている。 本人訴訟の事件は、代理人つきの事件より早く終わっていない。 件数が増え、終わりも早くならないのだから、判事の処理量は素直に増える。
さらに事件内部の活動量も増えた。提起から180日間のドケット記載件数でみると、定型的な事件類型において 1事件あたり 16.4件(2017Q1–2022Q3)→ 24.3件(2025Q2)、+48%。 1つの裁判所あたりの四半期合計では 802件 → 2,234件、+179%。
ここが本稿の分岐点である。この研究の最も重要な発見は「訴訟が増えた」ことではなく、 どこで増えて、どこで増えなかったかにある。
著者らは、連邦裁判所が事件を分類する Nature of Suit(NOS)コード86類型を、 AI以前の本人訴訟率の中央値で二分した。AI以前に本人訴訟が多かった類型は、 GPT-4以前から「自分でやれる」と多くの当事者が判断していた類型 = 定型的、という考え方だ。 結果、48類型が「定型(simple)」、38類型が「複雑(complex)」に分かれた。
特許(NOS 830)は、AI以前の本人訴訟率が3%。complex側の代表格である。 製造物責任(4%)、保険(5%)と並び、AIが来ても本人訴訟が増えなかった領域に属する。
つまり正確な要約は「AIで訴訟が溢れた」ではない。「定型的な書面生産で入れる訴訟が溢れ、そうでない訴訟は溢れなかった」である。 論文の言葉では、増加は「formulaic document production(定型的な文書生産)を特徴とする事件類型に集中し、 より複雑で弁護士集約的な類型には存在しない」。
では、特許はなぜ complex 側にいるのか。ここから制度史の話になる。
訴訟における本人代理の権利は1789年から続いている。一方、特許庁の手続きには早くから資格の関門が設けられた。 その経緯は、1963年の連邦最高裁判決 Sperry v. Florida が判旨の中で丁寧に辿っている。
1836年特許法が審査手続を再導入したことで、明細書を書く専門業者の数が増加した。19世紀半ばには、不誠実な業者が無価値な出願を書き、あるいは発明のアイデアを丸ごと盗むという問題が顕在化する。
特許庁長官は「著しい非行(gross misconduct)を理由に、いかなる者についても、一般的にまたは特定の事件について、特許代理人として認めることを拒否できる」。規律の名宛人は本人ではなく仲介者だった点が重要である。
12 Stat. 247「知性と善良な品性を有する者は誰でも、出願人の事実上の代理人または代理業者として出頭できる」。当時の実務家の多くは技術者や化学者であり、法曹会員ではなかった。
詐欺的な実務への対応として、特許庁長官が初めて、特許庁で実務を行う者の登録を要求した。訴訟における本人代理権より110年遅れて、特許庁の門にだけ資格の関門ができた。
長官が代理人・代理業者の承認に関する規則を定める権限が、明文で法律に書き込まれた。現在の 35 U.S.C. §31 系の規定に連なる。要件は「善良な品性および評判、ならびに必要な資格を有すること」。
フロリダ州弁護士会が、弁護士資格を持たない登録 patent agent を「無資格法律業務(UPL)」として差し止めようとした。連邦最高裁はこれを覆す。理由の一つが「非弁護士は特許庁の発足時から、庁の明示的承認と議会の認識のもとで実務を行ってきた」ことだった。
Sperry v. Florida, 373 U.S. 379 (1963)ここを読み違えないでほしい。米国の登録制は「素人が自分で出願するのを止めるため」に作られたのではない。 「無資格の仲介者が発明者を食い物にするのを止めるため」に作られた。 そして Sperry は、弁護士でない専門職という別ルートを、州の弁護士独占から連邦が守った判決である。 規律の向きは、いま生成AIが起こしている現象(仲介者を飛ばして本人が直接入ってくる)と逆向きだった。
そしてこの10数年で、米国は代理要件を三度にわたって強化した。三段目は2026年7月20日に施行されたばかりである。
| 施行 | 対象 | 内容 | 公表された動機 |
|---|---|---|---|
| 2012 9月16日 |
特許 法人 |
法人(juristic entity)は登録実務家による代理が必須に。37 CFR 1.31(AIA実施規則) | 法人が本人手続きを試みて審査官に過剰な補助を求め、手続きミスにより審査が遅延していたため |
| 2019 8月3日 |
商標 外国居住者 |
外国に居所を有する出願人・登録権者は、米国弁護士の選任が必須に | 本人手続きの外国出願人による不正確・詐欺的な提出が激増。汚染された出願は数万件規模と推計された |
| 2026 7月20日 |
特許 外国居住者 |
外国に居所を有する出願人・特許権者は、USPTO登録実務家による代理が必須に。37 CFR §§1.9, 1.31, 1.32, 1.33 を改正 | 審査資源と滞貨、虚偽の微小事業体証明の増加、実務家に対する懲戒管轄、諸外国との相互主義 |
誰が対象か — 国籍ではなく domicile(居所) 基準。米国に永住する非米国籍者は本人手続きを続けられる。逆に米国籍でも国外居住なら対象になる。
誰を選任すればよいか — 条文は registered patent practitioner であり、弁護士資格のない登録 patent agent でも足りる。Sperry の遺産はここで生きている。「Patent attorney でなければ出願できない」というのは、正確ではない。
なお本人が署名できるもの — 発明者の宣誓書・宣言書(37 CFR 1.63、特定当事者の署名が要求される書面のため対象外)/維持年金の納付/初回出願そのもの(実務家なしでも出願日は付与される)。
実務家の署名が必要になったもの — 願書データシート(ADS)、補正・応答、情報開示陳述書(IDS)、請願・申請、微小事業体(micro entity)証明。
遡及の範囲 — 出願日を問わず、2026年7月20日以降に受領される全ての書面に適用。係属中の既存案件も対象。
回復不能な罠 — 非公開請求(nonpublication request)と早期審査請求(prioritized examination)は、不備が事後に治癒できない類型として指摘されている。
2026年特許規則の公示理由には、人工知能への言及が一切ない。挙げられているのは効率・滞貨、虚偽の微小事業体証明、懲戒管轄、相互主義の4点である。
数字も「AI洪水への対応」説を支持しない。FY2022の外国からの本人手続き出願は1,217件(全出願の0.24%)にすぎず、 外国由来の非仮出願の約97%はすでに米国実務家を選任済みだった。Patently-O の Dennis Crouch 教授は この規則を「既存実務の追認にすぎない」と評している。時系列でみても、生成AIによる自己出願の急増が観測されたのは2025年であり、この規則の立案はそれ以前である。
したがって「AIのせいで米国が代理を義務化した」という因果を主張してはいけない。 ただし——2019年の商標規則は、明確に「素人の大量流入による制度の汚染」への対応だった。 型(テンプレート)は2019年に完成しており、2026年の特許規則はその横展開である。制度がこの手筋をすでに持っている、という事実の方が重要だ。
ここで正直に書く。「審査」は溢れていない。しかし「入口」は溢れている。境界は、思ったより手前に引かれている。
米国の本人出願の年次推移は公開統計が乏しく、直接の検証ができない(未公開出願が多いため)。 一方、オーストラリア特許庁(IP Australia)は数字が出ている。豪州の弁理士 Mark Summerfield 氏の分析による。
自己出願の98.6%が豪州居住者。標準出願は全出願の2.6%にとどまる。通年では自己出願の仮出願が前年比+193%。
仮出願は 993件 → 2,563件(過去5年平均比 +174%)。標準出願は 373件 → 559件(同 +82%、全体の2.6%)。 Summerfield 氏はこう書いている——「この期間で初めて、自己出願の仮出願件数が代理人経由を上回った」。
ここに境界がある。仮出願は「出せば日付が取れる」形式性の緩い手続きで、定型的な文書生産に近い。だからAIが効く。 審査を通す明細書とクレームは定型ではない。だから効かない。Shah & Levy が訴訟で見つけた simple / complex の分岐が、 特許制度の内部にもそのまま走っている、と読める。
そして質のデータが冷たい。2017年時点の研究では、自己出願の仮出願の9割超がその後何も起きず、 自己出願の標準出願の約8割が何の価値も生まなかった。訴訟側も同じで、Shah & Levy は本人訴訟の事件が 早く終わりも、良い結果に至りもしていないことを示している。入口のコストだけが下がって、出口の難度は下がっていない。
AI活用に関するガイダンス(89 FR 25609)。既存の規則で対応可能という立場。 署名は実務家の責任を意味し、開示義務(duty of candor)はAIツールの使用にも及ぶ。 AIに起草させた書面を検証せずに提出することは、重大な虚偽記載・記載漏れのリスクを負う。
AIエージェントによる明細書作成のリスクを公表。①技術情報の漏洩(事前開示による新規性喪失)②ハルシネーション(論理矛盾・記載不明確)③不誠信申請(過料・代理機構の資格取消)。 名宛人が主に代理機構である点が特徴的で、出願人には「代理機構がAIエージェントを使っていないか確認せよ」と促している。
どちらも「AIを禁じる」のではなく「責任の帰属先を人間の有資格者に固定する」設計になっている。 これは1861年に議会が取った手——仲介者に規律をかける——と同じ発想である。 AIは責任主体になれないから、規律できる名宛人はそこにしかない。
もう一つ、日本の議論への含意がある。AI法務サービスと非弁行為(弁護士法72条)の緊張は日本でも論点だが、 米国は Sperry で63年前に一つの答えを出している——連邦の行政庁における手続きは、州の弁護士資格独占の外に置ける。 弁理士という「弁護士でない専門職に一定の法律業務を開放する」制度を日本がすでに持っていることは、 この議論の先行事例として読み直す価値がある。
本稿のまとめ。AIは「定型的な書面で入れる場所」を溢れさせる。訴訟の入口はそこだった。特許の審査はそこではなかった。 ただし特許にも定型の入口はあり(仮出願)、そこは実際に溢れている。 そして制度は、素人の流入そのものではなく責任の所在を規律することで応じてきた——1861年も、2019年も、2026年も。
未確認事項:米国における本人出願(特許)の年次推移の実数は、公開統計が見当たらず検証できていない。 PCT国内移行および仮出願に対する2026年規則の個別的な適用も、一次資料で明示を確認できていない。