AI × IP Mokumoku — Casebook / Reference

ボトルネックは、動く

三相誘導モーターとリバース・サライエント — 専有可能性が時限的であるということ

分野: 技術史 / イノベーション経済学 / 知財戦略 形式: 歴史ケース + 対話型図解 + 現代写像 読了目安: 30分
図鑑内の位置: 本稿は 知財ビジネスモデル図鑑 の「テスラ/電流戦争」カードの別切り口である。図鑑側が誰が勝ったか(方式間競争)を扱うのに対し、本稿はボトルネックがどこへ移動したかを扱う。理論の枠組みは ティースの専有可能性レジーム(補完資産と専有可能性)に、制度の遅れの話は 制度は革命の後に来る に接続する。
実務編: 本稿の結論を知財マネジメントの本として設計し直したのが テスラは、取締役会にいない — Tesla in the Deeptech Startup(書籍骨子)。『Edison in the Boardroom』の5段階の階梯が、ボトルネックの動く世界では登れないことを扱う。
目次 §1 交流には穴が空いていた/§2 発明の時系列/§3 装置:回転磁界を見る/§4 リバース・サライエント/§5 滝の力は、運ばれなかった/§6 三十年の遅延/§7 四重心の分離/§8 ボトルネックの移動/§9 現代への写像:AI導入/§10 パターン抽出/§11 典拠と確度
§1

1886年、交流には穴が空いていた

電流戦争の物語はたいてい「交流が直流に勝った」で終わる。しかし勝敗が決する十年前、交流は半分しか動かないシステムだった。その穴の形を先に見ておかないと、モーターの発明が何であったかが分からない。

1880年代半ば、交流には決定的な利点がひとつあった。変圧できることである。ゴーラール=ギブス変圧器(1882-85)、ガンツ社のツィペルノフスキー/ブラーティ/デーリによるZBD変圧器(1885)を経て、高圧で送って手元で降圧する方式が実用の域に入る。ウェスティングハウスは1886年、マサチューセッツ州グレートバリントンで交流配電を実証した。送電距離の制約が、直流とは桁で違った。

だが交流にできたのは、当時照明だけだった。

1880年代の電力需要で最大の塊は、照明ではなく路面電車と工場動力である。そしてそれらはすべて直流側にあった。直流モーターは1880年代にはすでに実用機として成熟しており、スプレイグの電車用モーターは1888年にリッチモンドで路線網を動かしている。交流には、これに対応する動力機がなかった。単相交流を巻線に流しても、生まれるのは向きが反転するだけの脈動磁界で、回転する力にならない。止まっている軸は、止まったままである。

エジソン陣営の論拠は、迷信ではなかった

電流戦争の通俗史は、エジソン側を「感電デモと電気椅子で恐怖を煽った側」として描く。それは事実の一面だが、技術的な論拠のほうが本体である。当時の最大需要である動力を、交流は動かせなかった。照明しか動かせない配電網に産業の全部を賭けるのは、1886年時点では合理的な判断とは言えなかった。エジソンが誤っていたのは物理ではなく、その穴が塞がれる速さである。

この穴——「交流には動力機がない」——が、本稿の主役である。Thomas P. Hughes の言葉で言えば、これが1880年代後半の電力システムにおけるリバース・サライエント(reverse salient)だった。

§2

発明の時系列 — 層で読む

出来事を年号で並べるだけでは因果が見えない。各行に「どの層の出来事か」を付す。方式(送電の設計)・要素(動力変換の原理)・実装(工業的に成立する構成)・システム(両者を繋いだ実証)・事業(資本と契約)である。

出来事
1882-85ゴーラール=ギブス変圧器、ガンツ社のZBD変圧器。高圧送電→手元降圧の道が開く方式
1885ガリレオ・フェラーリス、回転磁界を実験的に得る(トリノ)。公表は1888年3月11日、トリノ王立科学アカデミー要素
1886ウェスティングハウス、グレートバリントンで交流配電を実証。ただし動かせるのは照明のみ方式
1887-88テスラ、1887年10月12日出願 → 1888年5月1日登録の US 381,968「Electro-Magnetic Motor」ほか多相方式の一群。1888年5月、AIEE講演要素
1888/7ウェスティングハウスがテスラ特許を取得。現金と株で6万ドル+交流馬力あたり2.5ドルのロイヤルティ、加えて月2,000ドルの顧問契約事業
1889ドリボ=ドブロボルスキー(AEG)、かご形回転子と三相方式を確立。独 DRP 51,083(1889年3月8日)ほか実装
1891ラウフェン=フランクフルト間 175km・約15kV・約300馬力・効率およそ75% の三相送電を国際電気技術博覧会で実証システム
1891ウェスティングハウス社の資金難。テスラがロイヤルティ条項の解除に同意(後述。通説の「1897年に契約を破り捨てた」はここが原型)価値配分
1892GE成立(エジソン・ゼネラル・エレクトリック + トムソン・ヒューストン)。エジソンは経営から排除される事業者再編
1893ナイアガラのカタラクト建設会社、発電機の契約をウェスティングハウスへ事業
1895/8/26アダムス発電所、最初の商用送電。最初の顧客は隣接地のピッツバーグ・リダクション社(後のアルコア)事業
1896GE-WH、300件超の係属訴訟を抱えたまま休戦し特許管理の合同機関(Board of Patent Control)を設置。相互実施許諾へ終戦
1896/11/16バッファローへの約26マイル送電を開始。最初の需要家は路面電車事業者システム
1897ウェスティングハウスがテスラ特許を一括買い取り(216,000ドルの小切手記録が残る。総額は史料上未確定)価値配分
1899→1929製造業の動力に占める電力の比率が 5%未満 → 50%(1919)→ 75%(1929)。ユニットドライブと工場レイアウト再設計が進む需要側

この表を眺めると、通説の言い方——「テスラが誘導モーターを発明し、それによって交流が勝った」——が、二重に雑であることが見えてくる。第一に、実際に世界標準となった構成(かご形回転子・三相)を作ったのはテスラではない。第二に、そして本稿の主題として、モーターの発明は交流送電を可能にしたのではなく、交流送電の存在が「モーターを作れ」という問題を定義した

§3

装置 — 回転磁界を、見る

因果の向きを議論する前に、物理を一度見ておく。誘導モーターの回転は、回転する部品が作るのではない。互いに120度ずれた三つの電流が、静止したコイルの中に回転する磁界を描く。そしてその「120度ずれた三つの電流」は、モーターが用意するものではなく、送電網が持ってきたものである。

三相回転磁界 — 対話型

左が固定子の断面。U・V・Wの三対のコイルは動かない。色の濃さが各相の電流の向きと大きさで、中央の矢印がその瞬間の合成磁界。右が三相電流の波形と、いま見ている位相の位置。

U W V U / V / W

濃い赤=正の電流/濃い青=負の電流/中央の矢印=合成磁界ベクトル。回転子の棒はかご形導体の模式。

「単相にする」を押したときに起きること

V相とW相を落として単相にすると、合成磁界は回転をやめ、U軸という一本の線の上で伸び縮みし、向きを反転するだけになる。これが脈動磁界で、静止した回転子には始動トルクが生まれない。1886年の交流が抱えていた穴は、まさにこの状態だった。

※ 三相のうち一相だけを落とした場合は、残る二相の位相差により磁界は楕円状に回り続ける(欠相運転)。回転が完全に消えるのは、位相差そのものが無くなる単相のときである。

逆に言えば——三相の電流がすでにそこに来ているという前提があってはじめて、この解法が成立する。誘導モーターは単体で発明できる装置ではなく、送電の側の設計を入力として要求する装置である。ここに、本稿の因果の向きが集約している。

ドリボ=ドブロボルスキーが1889年に到達したかご形回転子は、この構造のうえで最も安く、最も丈夫な答えだった。回転子に巻線も整流子もブラシもいらない。鉄心に導体棒を通し、両端を短絡環で繋ぐだけ。テスラ自身の設計は突極型で、始動トルクが不足し実用機として弱かった。現在世界中で回っている誘導モーターの圧倒的多数は、テスラの図面ではなくドリボ=ドブロボルスキーの構成の子孫である。

§4

リバース・サライエント — 因果の向きが逆になる

Thomas P. Hughes が『Networks of Power』(1983) で提示した概念を、ここで導入する。ナイアガラと交流誘導モーターは、Hughes がこの概念を説明するために使った当の事例である。

軍事用語の salient(突出部)を反転させた造語である。前線が前進するとき、進みは均等ではない。ある区間だけが遅れて残る。それがリバース・サライエント——システム全体の拡張を、そこ一点で押さえつけている遅れた部分である。

  1. システムが拡張すると、前線の一部が遅れて残る(リバース・サライエント)。
  2. 技術者はそれをクリティカル・プロブレムとして定義し直す。「遅れている」という曖昧な状態を、「これを作れ」という解ける形の課題に翻訳する。
  3. 発明努力と資本がそこに集中し、解決される。
  4. ボトルネックは別の場所へ移る。

1888年時点で、電力システムのリバース・サライエントは動力変換にあった。送電(変圧器と高圧線)は先へ進み、照明(白熱灯)も進んだ。動力だけが直流に置き去りにされた。だから資本と才能がそこに殺到した。フェラーリス、テスラ、ドリボ=ドブロボルスキー、ブラッドリー、ハーゼルワンダーが、ほぼ同時期に独立に同じ問題に取り組んでいるのは偶然ではない。問題の側が、解き手を呼んだのである。

キラー発明は、事前に存在するのではない。システムが事後的に定義する。

図鑑にとっての含意はここから出る。「次のキラー発明は何か」を予測しようとするのは、問いの立て方が間違っている。答えられる形にすると、こうなる——いまどこがリバース・サライエントか。前者は当てもの、後者は観測である。

この概念を使うときの注意

リバース・サライエントは事後の記述としては強力だが、事前の予測には弱い。「遅れている部分」は常に複数あり、そのうちどれが本当の律速だったかは、解けた後にしか確定しない。1888年の当事者にとって、動力変換と並んで「安価な蓄電」もまた明白な遅れであった。前者は解け、後者は百年以上解けていない。Hughes の枠組みは候補を列挙する装置であって、当てる装置ではない。

§5

山場A — 滝の力は、運ばれなかった

ナイアガラの物語はふつう「滝の力を、遠く離れた都市まで運ぶことに成功した」と語られる。最初に起きたのは、その逆方向の移転だった。

アダムス発電所が最初の商用電力を送ったのは1895年8月26日。だがその電気は、どこか遠くの都市へ行かなかった。最初の顧客は隣接地に立地していたピッツバーグ・リダクション社(後のアルコア)で、アルミ電解のために電気を使った。バッファローへの約26マイルの送電が始まるのは、その1年3ヶ月後、1896年11月16日である。

その1年3ヶ月のあいだにナイアガラの周りで起きていたのは、送電網の建設ではなく工場の引っ越しだった。

ピッツバーグ・リダクション社

アルミの電解製錬。アダムス発電所に隣接して立地し、1895年に最初の顧客となる。ホール=エルー法は大量の直流を食う。

後のアルコア

カーボランダム社

アチソンの炭化ケイ素研磨材。1895年10月にナイアガラ工場を開設し、ナイアガラ電力会社と1,000馬力を契約した。電熱プロセスを同地で本格的に使った最初の産業。

E.G. アチソン

カストナー電解アルカリ社

水銀法による電解ソーダ。カストナー法の米国での最初の商業実施が、1897年ナイアガラの工場である。ほかにユニオン・カーバイド(カーバイド)等が続く。

電気化学クラスターの形成

これらはいずれも直流負荷である。交流で送られてきた電力は、回転変流器を介して直流に戻されてから使われた。せっかく交流で発電し、変圧で送れるようにしたのに、初期の主要顧客は隣に建って直流に戻していた。

立地が、専有可能性の宿り先になっていた局面

電力が遠くまで運べないあいだ、産業のほうが滝に引っ越した。立地の移転が先で、電力の移転が後である。そしてこの局面において、他社が容易に真似できなかったのは技術ではない。滝のそばの土地と、そこへの電力供給契約だった。専有可能性が、知財ではなく土地と隣接権に宿っていた期間が、確かに存在する。

これは図鑑がこれまで扱ってきた「発明の重心と価値の重心のずれ」を、地理的次元に展開した論点になる。守るべきものが特許であるとは限らない、という話ではない。そもそも守るべきものが特許でありうる期間のほうが、限られているという話である。

§6

山場B — 三十年の遅延

誘導モーターは1890年代には手に入った。製造業の生産性が跳ねるのは1910-20年代である。この二十年から三十年の空白に、本稿でいちばん現代に効く論点が入っている。

Paul A. David の "The Dynamo and the Computer"(American Economic Review, Papers and Proceedings, 1990)が扱ったのはこの空白だった。当時の問題意識は「コンピュータへの投資が生産性統計に現れない」——いわゆる生産性パラドックスで、David はその先例として電化を持ち出した。

Warren Devine の実証("From Shafts to Wires", Journal of Economic History, 1983)が数字を与えている。米国製造業の原動力に占める電力の比率は、1899年に5%未満、1919年に約50%、1929年に約75%。導入そのものは着実に進んでいた。にもかかわらず生産性の跳ねは遅れた。

なぜ遅れたか — 蒸気機関の位置に、モーターを置いただけだった

初期の工場電化は、置き換えだった。それまで蒸気機関があった場所に大型電動機を据え、天井を走るラインシャフト(主軸)とベルト伝動はそのまま残した。動力源だけが替わり、動力の配り方は替わらなかった。

この構成では、電力の本当の利点がほとんど使えない。ラインシャフトは工場の端から端まで一本で回るので、一台の機械しか使っていなくても全部を回し続けなければならない。機械の配置は、シャフトとベルトの幾何学に縛られる。作業の順序ではなく、動力伝達の都合で工場のかたちが決まっている。

跳ねたとき — ユニットドライブと、レイアウトの解放

生産性が跳ねたのは、ユニットドライブ——機械ごとに小型モーターを直結する方式——が普及し、それに伴って工場レイアウトが動力伝達の物理的制約から解放されて再設計されたときである。シャフトが消えると、機械は作業の流れに沿って並べられる。天井が空くので、天井クレーンが入る。使っていない機械は止められる。建屋は多層でなくてよくなり、平屋の広い工場が成立する。1913年のフォード・ハイランドパークは、機械と人をシャフトの幾何学ではなく工程の流れに沿って並べた代表例である。

本当のキラー・アプリケーションは何だったか

「誘導モーター」ではない。「誘導モーター + 工場レイアウトの再設計」である。そして後者は、図面でも装置でもなく特許にならない組織知だった。誰がどの順で何をするか、どこに何を置くか、監督者は何を見るか。書けば書けるが、書いたものを渡しても再現しない類の知識である。

ここで Teece の PFI の語彙が効いてくる。組織に埋め込まれた暗黙知は、法的保護がなくても事実上の専有が効く——ただし専有できるのは、それを持っている当の組織だけである。装置を売った側には一銭も入らない。モーターを作った会社が取れたのはモーターの代金であって、そのモーターが顧客の工場で解放した価値ではなかった。

§7

四重心の分離

図鑑がこれまで扱ってきたのは「発明の重心と価値の重心のずれ」——つまり二つの重心の分離だった。この事例では四つに割れている。各象限をクリックすると、その重心を担った人格と、そこで何が捕捉されたかが出る。

そして、終戦の形

1896年、GEとウェスティングハウスは300件を超える係属訴訟を抱えたまま休戦し、特許を持ち寄る合同の管理機関(Board of Patent Control)を設けて相互に実施を許した。標準化戦争は勝者の裁定では終わらなかった。プール形成で終わった。

ここで起きたのは「勝敗」ではなく係争コストの内部化である。そしてその構造が、その後の20世紀電機産業のかたち——二大企業体制と、そこから技術導入を受ける各国の重電産業——を規定した。誰が正しかったかを決めないまま、産業の骨格だけが決まった。

発明の重心・実装の重心・法的保護の重心・価値捕捉の重心。四つとも別人格に分離した。図鑑が扱ってきた「二つの重心のずれ」の、最も極端な形である。
§8

ボトルネックの移動

ここまでを一枚に畳む。各時期にボトルネックがどこにあったか、そしてそれが特許になる層だったかを並べる。

時期ボトルネックの所在特許になるかその層で効いた専有手段
〜1888 動力変換(要素技術)。交流で回る動力機が存在しない なる 方式特許。テスラ特許群がウェスティングハウスの交渉力そのものだった短い期間
1889-95 工業的に成立する構成(実装)。始動トルク、堅牢性、製造コスト 部分的になる 実装特許+製造能力。ただし価値は発明者個人でなく企業に帰属した
1890年代 事業者の資産構成。エジソンは自社の直流資産に縛られ、交流へ舵を切れなかった ならない 解いたのは特許でも技術でもなく資本市場。1892年のGE成立という外科手術で、意思決定者ごと入れ替えた
1893-96 係争コスト。300件超の相互訴訟が両社の投資を食っていた ならない プール(Board of Patent Control)による内部化
1890年代 立地。電力が遠くまで運べない ならない 滝に隣接する土地と供給契約(§5)
1900年代〜 需要側の組織的学習。工場レイアウト、作業設計、監督の方法 ならない 組織の暗黙知。装置を売った側には渡らない(§6)

中核命題

ボトルネックが特許にならない層に移動した瞬間、特許による専有可能性は消滅する。誘導モーター特許の交渉力が高かったのは、ボトルネックが要素技術層にあった短い期間——おおよそ1888年から1896年までの数年間——だけだった。その後の三十年、電化がもたらした価値の大半は、特許で捕捉できない層で発生し続けた。

注意すべきは、これが「特許は無意味だった」という話ではないことである。その数年間の交渉力は本物だった。ウェスティングハウスがナイアガラの契約を取り、GEとの休戦を対等な条件で結べたのは、テスラ特許群を握っていたからである。誤りは、特許が効くことでも効かないことでもなく、効く期間を無期限だと思い込むことにある。

§9

現代への写像 — AI導入局面

以下は予測ではない。構造的同型性の指摘である。同型だからといって同じ結末になるとは限らないし、遅延の長さが同じである理由もない。使い方は「当てる」ではなく「自分がどの層にいるかを確かめる」である。

電化(1885-1925)AI導入(2020年代)
要素発電機・変圧器基盤モデル
方式交流送電方式(周波数・電圧・相数の標準)API、推論基盤、コンテキストとツールの規格
動力変換誘導モーター——交流を「仕事」に変える層エージェント、ツール実行、コード実行環境——モデルを「仕事」に変える層。揃いつつある
直流モーターしかない状態=交流の穴チャットUIしかない状態=業務適用の穴
初期導入蒸気機関の位置にモーターを置き、ラインシャフトをそのまま回した既存の業務フローの一工程だけをLLMに置換した
再設計ユニットドライブ + 工場レイアウト再設計業務プロセスの再設計、組織構造の再設計
遅延およそ30年(1890年代 → 1920年代)未知数。短い理由も長い理由も、どちらも立つ

論点1 — いまどこがリバース・サライエントか

要素と方式は揃った。動力変換層も急速に埋まりつつある。この読みが正しければ、残るボトルネックは工場レイアウトに相当する業務プロセスの再設計で、そこは特許にならない層である。

ただし §4 の注意書きがここでも効く。遅れている候補は常に複数ある。評価と検証(出力が正しいかを安く確かめる方法)、データの権利処理、電力と計算資源の供給。どれが本当の律速だったかは、解けた後にしか確定しない。この節が提供できるのは候補の列挙であって、順位ではない。

論点2 — 専有可能性はどこへ行くか

歴史が示すのは、ボトルネックが組織知の層に移ったとき、知財による専有は効かなくなるということである。そのとき価値を捕捉するのは:

最後の項は比喩ではない。データセンターの立地とアンカーテナント構造は、アダムス発電所の電気化学クラスターと構造が重なる。電力が動かないなら需要のほうが動く、という一点で同じことが起きている。この対応については AIデータセンターの相似 が別角度から扱っている。

論点3 — 自社への問い

持ち帰り用の三問

一. 自社がいま投資している技術は、要素層か、方式層か、動力変換層か、それとも再設計層か。

二. その層は、特許になるのか。

三. ならないなら、何で専有するのか。——補完資産か、立地か、速度か、それとも「専有しない」という選択か。

三問目に「特許で」と答えられる期間は、この事例では十年に満たなかった。だが答えられる期間があったこと自体は事実である。問うべきは効くか効かないかではなく、いつまで効くかである。

この三問を、本一冊ぶんに展開すると

知財マネジメントの定番書『Edison in the Boardroom』は、企業がIP機能に何を期待しているかを5段階の階梯で捉える。だがその階梯はボトルネックが動かないことを暗黙に前提している——本稿の結論と正面から衝突する。そこを起点に、階梯を降りて羅針盤(どの層が詰まっているか)と時計(あと何年効くか)に持ち替えたらどんな本になるかを、テスラは、取締役会にいない — Tesla in the Deeptech Startup で骨子として書いた。エジソンが取締役会にいてそこから追い出された人物であるのに対し、テスラの位置——四重心が分離した状態——はディープテック・スタートアップのデフォルトの初期条件である、というのが向こうの出発点になる。

§10

パターン抽出 — 図鑑の型として

この事例から、図鑑のパターン体系に三つ追加する。いずれも「専有可能性が特許以外の何かに宿る」類型である。

パターンA — リバース・サライエント特許

システムの遅れた部分を解く発明は、その瞬間だけ異常に高い交渉力を持つ。ボトルネックが移動すれば価値は蒸発する。専有可能性が時限的である類型。

実務上の含意: 権利の寿命(20年)と、ボトルネックの寿命(数年のこともある)は一致しない。後者のほうが短いなら、権利化の設計は「長く持つ」より「効く期間に何を取りにいくか」で組む。

歴史: 交流誘導モーター / 現代候補: 特定のインターコネクト規格、特定のバッテリー化学、推論最適化技術

パターンB — 立地による代替

輸送・伝送技術が未成熟なとき、資源が動かないなら産業のほうが動く。専有可能性が知財ではなく立地・隣接権に宿る類型。

実務上の含意: この局面では、特許の出願件数を競っても意味がない。押さえるべきは土地、供給契約、そして接続の優先順位である。

歴史: ナイアガラの電気化学クラスター / 現代候補: データセンターとアンカーテナント、電力隣接立地

パターンC — プールによる終戦

標準化戦争は勝敗ではなくプール形成で終わることがある。係争コストの内部化が産業構造を決める類型。

実務上の含意: 「誰が勝つか」を予測する労力より、「どういう終わり方をするか」を想定するほうが実務に効く。プールで終わるなら、必要なのは最強の一件ではなく持ち寄れる束である。

歴史: 1896年 GE-WH の特許管理機関 / 現代候補: 標準必須特許プール、AI関連の相互不提訴宣言

§11

典拠と確度

この事例は二次文献の蓄積が厚い反面、伝承と史実の境目が曖昧な箇所を含む。本稿が採った事実を確度別に開示する。A 一次資料または複数の独立した典拠で確認/B 標準的な二次資料に依拠、数値に幅あり/C 伝承混じり、本稿では採用しないか留保つきで扱う。

確度事実状態
AUS 381,968「Electro-Magnetic Motor」/発明者 Nikola Tesla /出願 1887年10月12日 /登録 1888年5月1日。クレーム1は、電機子または界磁に独立した複数回路を持つモーターと、対応する独立回路を持つ交流発電機との組合せにより、発電機の回転がモーターの磁極を順次移動させる構成を請求する公報を直接確認
Aアダムス発電所 1895年8月26日に最初の商用送電。最初の顧客は隣接するピッツバーグ・リダクション社(後のアルコア)、直流電解用途複数の独立典拠で一致
ADevine (1983) の比率: 米国製造業の原動力に占める電力が1899年5%未満 → 1919年約50% → 1929年約75%原典 J. Econ. Hist. 43(2), 347-372
APaul A. David, "The Dynamo and the Computer", AER Papers & Proceedings, 1990年5月書誌確認済み
B1888年7月の契約条件: 現金と株で6万ドル、交流馬力あたり2.5ドルのロイヤルティ、月2,000ドルの顧問料二次資料で広く一致するが一次契約書は未確認
B1891年、ウェスティングハウス社の資金難を受けてテスラがロイヤルティ条項の解除に同意。1897年に特許の一括買い取り(216,000ドルの小切手記録が残るが総額は史料上未確定)本稿はこちらを採る
C「1897年にテスラが契約書を破り捨て、十億ドル級の富を放棄した」という語り採用しない。実際の放棄は1891年の条項解除であり、1897年は買い取り。金額の推計は出典が辿れない
Bカーボランダム社が1895年10月にナイアガラ工場を開設、ナイアガラ電力会社と1,000馬力を契約。カストナー電解アルカリ社は1897年に米国初の商業実施地域史・産業史資料に依拠
Bバッファローへの送電開始は1896年11月16日、距離約26マイル日付は一致。当初送電容量の実数値は未確定(要一次資料)
Bウェスティングハウスの初期照明系統は133⅓Hz(8極・2,000rpm)。テスラの誘導モーターはそれより低い周波数を要し、1890年に照明とモーターの両立点として60Hzを採用(50Hzも可能だったが既存のアーク灯装置が60Hzでやや良好だった)Lamme (1918)・Owen (1997) に依拠。「テスラの設計が60Hzだった」という言い方は結果からの逆算で、原典は「低い周波数を要した」まで
Bドリボ=ドブロボルスキーのかご形回転子: 独 DRP 51,083(1889年3月8日)番号は複数典拠で一致。原文明細書は未確認
Bラウフェン=フランクフルト間 175km、約300馬力、効率およそ75%送電電圧は15kV説と25kV説がある。本稿は約15kVを採り幅を明示
B1896年、GE-WH間に300件超の係属訴訟。休戦して特許管理の合同機関(Board of Patent Control)を設置定訳のある日本語名称はない。対象特許の件数、両社間の配分比率、解消時期は本稿では未確認のため記載しない
C「フェラーリスは学術的信条から特許化を拒んだ」留保。本人の言明として辿れるのは、その構成のモーターが「産業的な動力変換の手段として重要性を持ち得ない」と考えていた旨である。信条説は広く流布するが出典が確かでない。本稿は信条ではなく価値判断の誤りとして扱う
Cユニットドライブ普及率の年次別具体数値未取得。§6は原動力に占める電力比率(Devine)で代替しており、ユニットドライブ単独の普及率は示していない
Cフェラーリスの公表が欧州でテスラ特許の権利範囲を実際に削った、という因果本稿では断定しない。先行技術として援用された事実と、権利範囲が実際に減縮された事実は別に検証を要する

参考文献