AI × IP Mokumoku — Casebook / Book Outline

テスラは、取締役会にいない

Tesla in the Deeptech Startup — 書かれていない一冊の骨子

分野: 知財マネジメント / スタートアップ 形式: 書籍骨子 + 対話型の章立て 読了目安: 25分

はじめに — これは実在しない本である

本稿は Edison in the Boardroom(Julie L. Davis & Suzanne S. Harrison, Wiley, 2001/第2版 Edison in the Boardroom Revisited, Suzanne S. Harrison & Patrick H. Sullivan, Wiley, 2011)の題名をもじった架空の書籍の骨子である。そのような本は出版されていない。引用のように見える箇所はすべて本稿の創作であり、元の著者らの主張ではない。元の本の内容として述べる部分は §1 で出典を明示する。

姉妹記事: 本稿は ボトルネックは、動く — 三相誘導モーターとリバース・サライエント の実務編である。向こうが歴史ケースとして「専有可能性は時限的である」を示し、こちらがそれを前提にした知財マネジメントの本を設計する。理論の下敷きは ティースの専有可能性レジーム、開示のジレンマは ピッチはなぜ無料なのか に接続する。
目次 §1 元の本が言っていること/§2 三つの暗黙の前提/§3 なぜテスラなのか/§4 器具を持ち替える/§5 骨子(序章+4部12章+巻末)/§6 元の階梯との対応表/§7 この本が扱えないこと/§8 典拠と確度
§1

元の本が言っていること

もじる前に、もじられる側を正確に置く。Edison in the Boardroom は知的資産マネジメント(IAM)の実務書として広く読まれてきた本で、中核はバリュー・ハイアラーキー——企業が自社のIP機能に何を期待しているかを5段階で捉えるピラミッドである。

ここが重要な点だが、この5段階は特許の強さの段階ではない。「会社がIP機能に対して抱いている期待」の段階である。下から順に、次のようになる。各段をクリックすると、元の定義と、それがディープテック・スタートアップでどう壊れるかが出る。

段階の名称と定義は WIPO Magazine の解説記事に拠る(原書の記述の要約)。日本語は本稿による訳。

この階梯は、実務家の直感によく合う。多くの日本企業は第2段(コスト管理)にいて、第3段(プロフィットセンター)へ行けと言われ続けている。第4段(統合)が本丸で、第5段(ビジョナリー)は憧れである——という了解は、おそらく多くの知財部で共有されている。

この本の美点を先に言っておく

バリュー・ハイアラーキーの功績は、知財の巧拙を「権利の強さ」から切り離したことにある。強い特許を持っていても第1段に留まる会社はあるし、大した特許がなくても第4段の会社はある。差を作るのは権利ではなくその権利に対して会社が何を期待しているかだ、と言い切った。これは今でも正しい。

本稿が争うのは、この枠組みの適用範囲である。中身ではない。

§2

三つの暗黙の前提

階梯を登るという行為が成立するには、階段が固定されていて、登る時間があり、そもそも一段目に足を掛けられる必要がある。この三つが前提である。書かれていないのは、元の本の読者にとっては自明だったからだ。

前提① ポートフォリオが既にある

最下段の「ディフェンシブ」ですら、守るべき自社の権利があることから始まる。他社を侵害していないかを確かめ、権利をもっと取る、というのが第1段の内容である。つまりこの階梯の出発点はゼロではなく1だ。

ディープテック・スタートアップの初期はゼロである。しかもゼロから1へ行く工程——何を発明として切り出し、どこまでを権利範囲として書くか——は、この階梯の外側にある。そして実務上いちばん難しいのはそこだ。階梯は、いちばん難しい工程が終わったところから始まっている。

前提② 会社が存続する

第5段のビジョナリーは「長期の視点」を要求する。第4段の統合も、事業部門がIPの使い方を体得するまでの時間を要求する。階梯は時間を消費する装置である。

ランウェイが18ヶ月の会社に、その時間はない。より正確に言えば——時間がないこと自体が、この会社の知財判断の最大の制約条件であり、階梯にはその変数が入っていない。第2段の「コスト管理」は、大企業にとっては年間予算の最適化だが、スタートアップにとっては出願1件が次の資金調達までの現金と直接トレードオフになるという別種の問題である。同じ言葉が指す中身が違う。

前提③ ボトルネックが動かない

これが本稿の姉妹記事に直結する。階梯は一本の軸である。下から上へ、成熟していく。だがその軸は「IP機能の成熟度」であって、「その会社の技術が置かれている層」ではない。

姉妹記事で見たとおり、交流誘導モーターの特許が高い交渉力を持ったのは、ボトルネックが要素技術層にあった1888年から1896年ごろまでの数年間だけだった。ボトルネックはその後、事業者の資産構成へ、係争コストへ、立地へ、そして需要側の組織学習へと移動し、移動した先はどれも特許にならない層だった

合わせて読むと

階梯を登る努力は、ボトルネックが要素技術層に留まっている限り報われる。留まらないなら、登り切った先に何もないことがある。大企業は事業ポートフォリオが広いので、どこかの事業では常にボトルネックが要素層にある——だから階梯は平均的には正しい。単一技術に賭けている会社では、その平均が効かない。

階梯が悪いのではない。階梯は、階段が動かない建物のための道具である。
§3

なぜテスラなのか — 反面教師ではない

題名をもじるにあたって、エジソンをテスラに替える。ここには二つの含意があり、通俗的な「テスラは報われなかった天才」という語りとは無関係である。

含意1 — エジソンは取締役会にいた。そして追い出された

元の題名の妙は、発明家が取締役会にいるという絵にある。だが史実のエジソンは、1892年にGEが成立したときに経営から排除されている。理由は発明の能力ではない。自社の直流資産に縛られて交流へ舵を切れず、それを解いたのが技術でも特許でもなく資本市場だったからである。

取締役会にいることは、正しい判断を保証しない。むしろ既存の資産が判断を縛るという、スタートアップとは逆向きの病がそこにある。エジソンは「経営を分かっている発明家」の象徴であると同時に、「資産に縛られて動けなくなった経営者」の症例でもある。

含意2 — テスラの位置は、失敗ではなく初期条件である

姉妹記事で見た四重心の分離を、そのままスタートアップに重ねてみる。

重心1888年ごろの電力システムディープテック・スタートアップの初期
発明の重心フェラーリス/テスラ創業者・研究者。ここは自分にある
実装の重心ドリボ=ドブロボルスキー(AEG)。世界標準になった構成を作った他人。製造委託先、後から入るCTO、共同研究先。まだ動いている
法的保護の重心テスラ特許群 → ウェスティングハウス社が保有あいまい。大学との共有、職務発明の帰属、出願前の開示
価値捕捉の重心ウェスティングハウス社(補完資産の保有者)未定。ここを決めにいくのが事業計画そのもの

つまり——ディープテック・スタートアップの初期状態は、四重心が分離した状態そのものである。テスラの位置は例外的な不運ではない。デフォルトの初期条件だ。

この本の立場

したがってこれは「テスラにならないための本」ではない。テスラの位置から始めるしかない人のための本である。四重心が分離しているという事実を出発点として受け入れ、そのうえでどの重心をいつまでに自分の側へ寄せるかを設計する。

ついでに言えば、テスラを冠する理由がもうひとつある。姉妹記事で確認したとおり、テスラの権利は実際に効いた。ウェスティングハウス社がナイアガラの契約を取り、GEと対等な条件で休戦できたのは、その束を握っていたからである。効かなかったのではない。効く期間が短く、その期間に何を取りにいくかを設計しなかった——それがこの本の主題である。

§4

器具を持ち替える — 階梯から、羅針盤と時計へ

前提が成り立たないなら、道具を替える。階梯が答えていた問い(自社はどの段階か)を、三つの問いに割る。

羅針盤 — どの層が詰まっているか

問い: いま自社の技術は、要素層・方式層・変換層・再設計層のどこにあるか。そしてシステム全体の律速はどこにあるか。

この二つは一致しないことのほうが多い。自社が解いている問題が律速でないなら、どれだけ強い権利を取っても交渉力にならない。逆に律速を解いていれば、小さい会社でも交渉力を持つ。

対応する部: 第Ⅱ部(4〜6章)

時計 — あと何年効くか

問い: この層に律速が留まるのは、あとどれくらいか。権利の残存期間と、どちらが先に尽きるか。

権利の寿命は20年。ボトルネックの寿命は数年のことがある。短いほうが実効的な専有期間を決める。そして三つの時計(技術・資金・制度)は同時に走る。

対応する部: 第Ⅲ部(7〜9章)

座組図 — 四つの重心は誰にあるか

問い: 発明・実装・保護・価値捕捉の重心は、いまそれぞれ誰が持っているか。放置するとどこへ流れるか。

分離していること自体は初期条件であって異常ではない。異常なのは、分離したまま気づかずに時間が経つことである。

対応する部: 第Ⅳ部(10〜12章)

階梯との決定的な違い

階梯は自社だけを見て答えが出る。いま何段目かは、社内の運用を見れば分かる。羅針盤と時計は自社の外を見ないと答えが出ない。律速がどこにあるかは業界の構造の問題で、いつ動くかは他社と需要側の学習速度の問題である。

これは面倒だが、面倒であること自体が正しい。専有可能性は自社の属性ではなく、自社と環境の関係の属性だからである。

§5

骨子 — 序章 + 4部12章 + 巻末

各章をクリックすると、中核主張・反転する前提・使う事例・置く道具・そしてこの章で捨てる助言が出る。最後の項目を各章に必ず一つ置くのは、何かを足す本ではなく、何かをやめる本にするためである。

構成の狙い

第Ⅰ部で前提を降ろす、第Ⅱ部でいまどこが詰まっているかを見る、第Ⅲ部で残り時間を測る、第Ⅳ部で座組を決める。各部が羅針盤・時計・座組図に対応し、第Ⅰ部だけが「元の本を降りる」ための部である。

各章に置く道具は一つだけにした。実務書がフレームワークを増やしすぎて使われなくなる、というのは知財に限らずよくある壊れ方である。12章で12個、巻末に3つ。それ以上は入れない。

§6

元の階梯との対応表

この本は元の本を否定しない。適用範囲の外に出たときに何が代わりに要るかを書く。だから各段に対して、対応する章と「置き換えるもの」を明示しておく。

元の段大企業での意味スタートアップでの壊れ方本書での置き換え
1 ディフェンシブ 自社を守り、他社を侵害せず、権利を増やす 守るべきものがまだ確定していない。増やす資金もない 6章 その層は特許になるか(発見可能性・迂回コスト・行使資源の3判定)
2 コスト管理 年間の権利維持予算を最適化する 出願1件が次の調達までの現金と直接トレードオフになる。別種の問題 8章 出願のタイミングは「発明したとき」ではない(実装の重心が止まったか)
3 プロフィットセンター ライセンスアウトで収益化する ライセンス収入を目的にした瞬間に、事業の焦点が壊れる 12章 出口の形から必要な権利の形を逆算する
4 統合 事業部門がIPを使いこなす 統合すべき事業部門が存在しない(全員が同じ部屋にいる) 5章 律速は自社の外にある/10章 四重心の棚卸し
5 ビジョナリー 長期の視点で業界における位置を賭ける 長期がない。三つの時計のうち最短のものに縛られている 3章 三つの時計/7章 権利の寿命とボトルネックの寿命

この表を横に読むと、置き換えが段の順序どおりに並んでいないことが分かる。第5段の課題(時計)が本書では第3章に来て、第1段の課題(判定)が第6章に来る。階梯の順序そのものが、この読者には当てはまらない——というのが、対応表がいちばん強く言っていることである。

§7

この本が扱えないこと

実務書の質は、扱う範囲より扱わない範囲の宣言で決まる。巻末Cに置くつもりの内容を、ここに先出しする。

いちばん危ない誤読

本書を「特許は要らない」と読むこと。そうは書かない。姉妹記事で確認したとおり、1888年から96年までの数年間、テスラ特許群の交渉力は本物だった。ウェスティングハウス社がナイアガラを取れたのはそれがあったからである。

誤りは効くか効かないかではなく、効く期間を無期限だと思い込むことにある。問うべきは「特許は効くか」ではなく「いつまで効くか、そのあいだに何を取りにいくか」。終章の題はここから取る。

§8

典拠と確度

もじる対象の記述を誤ると、もじり自体が成立しない。元の本について述べた事項の確度を開示する。A 出版情報・公的機関の解説で確認/B 二次資料に依拠/C 本稿の創作、または未確認。

確度事項状態
Aバリュー・ハイアラーキーの5段階の名称と定義: Defensive(ディフェンシブ)/Cost control(コスト管理)/Profit center(プロフィットセンター)/Integrated(統合)/Visionary(ビジョナリー)WIPO Magazine の解説記事の記述に拠る。§1の日本語は本稿の訳
A第2版 Edison in the Boardroom Revisited: How Leading Companies Realize Value from Their Intellectual Property(Suzanne S. Harrison & Patrick H. Sullivan, Wiley, 2011, ISBN 978-1-118-00453-1)。内容の約85%が新規で、実質的な書き直しに近いとされる出版情報と書評で確認
A姉妹書 Einstein in the Boardroom: Moving Beyond Intellectual Capital to I-Stuff(Harrison & Sullivan, Wiley, 2006)。無形資産一般を扱う続編出版情報で確認。「◯◯ in the Boardroom」が既にシリーズであることの根拠
B初版(2001, Wiley, ISBN 0-471-39736-9)の著者は Julie L. Davis & Suzanne S. Harrison、副題は How Leading Companies Realize Value from Their Intellectual Assets書誌情報では Davis & Harrison。一方、両版とも Harrison & Sullivan とする書評もあり記述が割れている。本稿は書誌情報を採る
B第2版で副題が Intellectual Assets から Intellectual Property に変わっている両版の書誌上の表記の差として確認。改題の意図は未確認
C日本語訳の有無未確認。本稿の訳語(ディフェンシブ/コスト管理/プロフィットセンター/統合/ビジョナリー)は既訳ではなく本稿の訳である。定訳がある場合はそちらが優先される
C「三つの暗黙の前提」という整理、「羅針盤・時計・座組図」という枠組み、序章+4部12章の骨子、各章の道具と「捨てる助言」すべて本稿の創作である。元の著者らの主張ではない
C元の本が「ポートフォリオがあること/会社が存続すること/ボトルネックが動かないこと」を前提にしている、という読み本稿の解釈。原書がそう明言しているわけではない。想定読者(IP機能を持つ大企業)から逆算した読みである
Aエジソンが1892年のGE成立で経営から排除されたこと、テスラ特許群の交渉力が1888-96年ごろに限られたこと、四重心の分離姉妹記事の §11 に典拠と確度の一覧がある

参考文献