日本の特許庁の1階ロビーに、その人のレリーフがある。同時に、アメリカ・バージニア州のUSPTO本部の建物の中にも、その人の展示スペースがある。日米双方の特許庁に顕彰されている発明者が、どうやらひとりだけいる。高峰譲吉。1901年の特許第4785号と、2024年5月9日のワシントンD.C.が、その両端にある。
特許庁総合庁舎の1階ロビーに、十枚のレリーフが並んでいる。「十大発明家」。1985年4月18日、発明の日に、専売特許条例の公布から100年——日本の工業所有権制度100周年を記念して選ばれた十人だ。選考は工業所有権制度百周年記念行事委員会(委員長・村田敬次郎 通商産業大臣)の下で行われた。
顔ぶれは、豊田佐吉・御木本幸吉・池田菊苗・鈴木梅太郎・杉本京太・本多光太郎・八木秀次・丹羽保次郎・三島徳七、そして高峰譲吉。高峰の登録技術として挙げられているのはアドレナリン、特許第4785号(1901年)である。
そして2024年5月9日、ワシントンD.C.。全米発明家殿堂(NIHF)のセレモニーで、高峰譲吉の殿堂入りが発表された。NIHFは1973年設立の非営利団体で、メインスポンサーはUSPTO。殿堂ミュージアムはバージニア州アレクサンドリアのUSPTO本部内にあり、殿堂入り者には展示スペースが用意される。
つまり彼は、日本の特許庁の建物の中と、アメリカの特許商標庁の建物の中に、同時に置かれている。
NIHFに殿堂入りした日本人は4名——遠藤章(2012年、スタチン)、中村修二(2015年、青色LED)、浅川智恵子(2019年、視覚障害者向けウェブ読み上げ)、高峰譲吉(2024年)。このうち十大発明家に名を連ねるのは高峰だけで、逆に十大発明家の残り9名にNIHF殿堂入り者はいない。したがって両リストの積集合は1名になる。
ただしこれは二つのリストを重ねた帰結であって、JPO・USPTOのいずれかが「両方に顕彰された唯一の発明者」と公称しているわけではない。本稿の「おそらく唯一」はその意味で読んでほしい。
面白いのは、この二つが同じ種類の名誉ではないことだ。
| 十大発明家(日本) | 全米発明家殿堂(米国) | |
|---|---|---|
| 選定 | 1985年、制度100周年の記念事業として一度きり | 1973年の設立以降、現在も続く選考プログラム |
| 主体 | 工業所有権制度百周年記念行事委員会(委員長・村田敬次郎 通商産業大臣) | 非営利団体。メインスポンサーがUSPTO |
| 形 | 特許庁総合庁舎1階ロビーのレリーフ | USPTO本部(バージニア州アレクサンドリア)内ミュージアムの展示スペース |
| 要件 | 歴史的な顕彰(記念選定) | 訴訟・論争のない完全な米国特許を有すること/国家の福祉に貢献/科学および芸術の進歩に貢献 |
日本側は歴史を振り返って固定した顕彰であり、米国側はいまも毎年動いている選考だ。前者は過去形、後者は現在形。過去形のリストに載るには1985年の時点で歴史になっている必要があり、現在形のリストに載るには、いま選ぶ理由が要る。
そしてNIHFの要件の一行目に注目したい。「訴訟・論争のない完全な米国特許を有すること」。これは業績の大きさでも、科学的な先取権でもない。米国特許として綺麗に成立し、争いなく生き残っていることが入口の条件になっている。制度が見ているのは発見ではなく権利のほうだ、と言ってもいい。
高峰は米国特許を20件取得している。NIHFが挙げる功績は主に二つだ。
ここから読み取れる設計が三つある。
日本で登録され、かつ米国でも「論争のない特許」として成立していた。この二重化があったからこそ、1985年の日本側の顕彰にも、2024年の米国側の選考にも、それぞれの制度の目線で引っかかることができた。片方だけしか押さえていなければ、片方のリストにしか現れない。100年後に見つけてもらえる場所が二つあった、というのは結果論ではあるが、偶然でもない。
タカジアスターゼは三共、アドレナリンはパーク・デービス。発明を製品として流す販売チャネルが、権利化とほぼ同時に確保されている。特許は、使われなければただの紙であり、使われて初めて「国家の福祉に貢献」という要件に化ける。権利の取得と流通の設計が別々の仕事になっていないところが、いま見ても異様に現代的だ。
アドレナリンでは、製法をプロセス特許5件で押さえたうえで、商標まで取得している。特許には期限があるが、商標は使い続けるかぎり生き続ける。製法の独占が切れたあとも、名前という資産が残る。二層構造——期限のある層と、期限のない層。特許だけを見ていると、これは視野に入らない。
科学的な先取権の争いは、化学史にはいくらでもある。誰が最初に見つけたかは、多くの場合きれいには決まらない。だが「誰の名義で、どの国に、争いのない権利が残っているか」は、記録として決まる。後世が参照できるのは後者のほうだ。
タカジアスターゼとアドレナリンの米国特許番号・第1クレームの中身・「Adrenalin」商標と一般名 epinephrine の棲み分け、そして発明→特許→起業→現在の第一三共までを一本でつないだ年表は、知財ビジネスモデル図鑑の「高峰譲吉」の回に収めています。図鑑では他にも、ベル・エジソンから現代までの発明と「その守り方の型」を事例で並べています。
ひとつ引っかかることがある。NIHFの要件を満たす状態は、100年前から満たされていた。米国特許20件も、世界初の結晶化も、1900年代前半に完了している。では、なぜ2024年なのか。
アドレナリンは現在も、心停止を含む心疾患、呼吸器疾患、アナフィラキシー治療などに広く使われている。コロナ禍以降、アナフィラキシー対応の文脈でアドレナリン製剤の存在感が改めて大きくなった——そうした「いま効いている」感覚が、選考のタイミングと無関係ではないように思われる。
ただしこれはあくまで筆者の推測であり、NIHFがそのように説明しているわけではない。要件のうち「国家の福祉に貢献」という項目が現在形で書かれていることから、そう読みたくなる、という程度のことである。
もしこの推測が当たっているなら、示唆はひとつだ。顕彰は過去の評価に見えて、実際には現在の必要から遡って選ばれている。100年前の権利が2024年に評価されたのではなく、2024年の必要が100年前の権利を照らし返した、という順番になる。
これは歴史の話に見えて、たぶん、いまの話でもある。
標準必須特許(SEP)を考えるとわかりやすい。SEPの価値は、その技術が他より優れているかで決まらない。標準規格という制度の中に、その請求項が位置を占めたかどうかで決まる。技術的な優劣と、制度上の位置取りは、別の軸なのだ。高峰がやったのは、まさにその位置取りだった——日本の制度と米国の制度、両方の中に、争いのない位置を確保しておくこと。
スタートアップの知財戦略でも、問いの立て方は似てくる。「プロダクトが先か、特許が先か」という二択がよく語られるが、高峰の答えはどちらでもない。同時に、複数国で、しかも売り先つきで、さらに特許が切れた後に残るものまで含めて——である。
ちなみに彼は医学への貢献のあと、民間団体を創設し、東京からワシントンへの桜の寄贈を実現している。制度と制度のあいだに橋を架けた人が、両方の制度に記憶されている。順番として、いかにもありそうな話だと思う。