2026年9月24日(米国時間)、クアルコムはアップルとのグローバル特許ライセンス契約を更新したと発表した。新契約は2027年4月1日から有効になる。発表文はごく短く、契約期間も、金額も、どの特許が対象なのかも書かれていない。
この短さを読むには、2017年に始まった世界規模の紛争と、2019年の和解、そして2020年の控訴審判決まで遡る必要がある。遡った先には、知財ビジネスモデル図鑑の「クアルコム」の回がある。
発表の本文は、更新の事実、発効日、特許ライセンス部門(QTL)の責任者のひと言だけでできている。残りは定型の会社説明だ。
この形式を、7年前の和解時の開示と並べてみる。
| 項目 | 2019年4月の和解 | 2026年9月の更新 |
|---|---|---|
| 発効日 | 2019年4月1日(発表は4月16日。さかのぼって発効) | 2027年4月1日 |
| 期間 | 6年+2年の延長オプション(→2027年3月末まで) | 書かれていない |
| 金額・料率 | 非公表(Apple が和解金を支払ったことだけが公表) | 書かれていない |
| 対象特許 | 非公表 | 書かれていない |
| 同時に結んだ契約 | 複数年のチップ供給契約 | 言及なし(供給契約は2026年発売分までの別契約と報じられている) |
新契約が2027年4月1日から始まるのは偶然ではない。2019年の契約(6年+2年)が満了する日の翌日だからだ。つまり今回の発表は、空白を一日も作らずに、前の契約から次の契約へ乗り継いだという告知である。
発表が短いこと自体は、ライセンス契約として珍しくない。ただ、2019年には少なくとも「期間」は書かれていた。それが今回は無い。延長オプションの有無も含めて期間を伏せたのは、次の交渉の手札を見せないためと読むこともできる。
ただしこれは筆者の推測で、両社がそう説明しているわけではない。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2016年9月 | Qualcomm が、両社の事業協力・特許契約(BCPA)に基づく約10億ドルの支払いを止める(Apple の主張) |
| 2016年12月 | 韓国公正取引委員会(KFTC)が Qualcomm に約1.03兆ウォン(約8.5億ドル)の制裁金。当時の同委員会で過去最高額 |
| 2017年1月17日 | 米連邦取引委員会(FTC)が Qualcomm を提訴 |
| 2017年1月20日 | Apple が Qualcomm をサンディエゴの連邦地裁に提訴(約10億ドル)。その後、中国・英国などにも広げる |
| 2017年春 | Apple の製造委託先4社(Foxconn・Pegatron・Wistron・Compal)がロイヤルティの支払いを止める。Qualcomm は5月に4社も提訴 |
| 2017年7月〜 | Qualcomm が米国際貿易委員会(ITC)に、Intel 製モデムを積んだ iPhone の輸入差止めを求める。対象は標準必須でない特許 |
| 2018年12月 | 中国・福州の裁判所が旧型 iPhone の販売禁止命令(12/10)。ドイツ・ミュンヘンの裁判所が差止め(12/20)→ Apple が一部機種をドイツの直営店から引き揚げる |
| 2019年3月 | サンディエゴの陪審が、Apple による特許3件の侵害と約3,100万ドルの賠償を評決。日本の公正取引委員会は、2009年に Qualcomm に出した排除措置命令を取り消す審決 |
| 2019年4月16日 | 本丸の裁判の冒頭陳述の日に世界規模の和解。同じ日の夜、Intel がスマートフォン向け5Gモデム事業からの撤退を発表 |
| 2019年5月 | FTC 訴訟の一審(コー判事)が Qualcomm の独禁法違反を認める |
| 2019年7月 | Apple が Intel のスマートフォン向けモデム事業を約10億ドルで買収すると発表 |
| 2020年8月11日 | 第9巡回区控訴裁判所が一審を全部取り消し(裁判官3人の全員一致)。10月に全裁判官による再審理の申立ても退けられ、2021年3月に FTC が最高裁への上訴を断念 |
| 2023年4月 | 韓国の大法院(最高裁)が KFTC の制裁金を支持。米国とは逆の結論 |
| 2025年〜 | Apple が自社設計モデム(C1)を iPhone に搭載し始める |
| 2026年9月24日 | 特許ライセンスの更新を発表。2027年4月1日に発効 |
この紛争は、攻め方の違う二本立てだった。Apple は課金の仕組みそのものを争い、Qualcomm は個別の特許で iPhone の販売を止めにいった。
| Apple の主張(仕組みを争う) | Qualcomm の反撃(販売を止めにいく) |
|---|---|
| 二重取り:チップの代金に加えてロイヤルティまで取るのは、特許消尽(特許品を一度売れば権利は使い尽くされる)に反する | 契約違反:製造委託先に支払いを止めさせたのは契約への不当な介入だとして反訴 |
| 算定の基礎:端末全体の価格にかけるので、Qualcomm と無関係な Apple の技術にまで課金されている | 標準必須でない特許で差止めを請求。標準必須特許(SEP)には FRAND の縛りがあるので、それを避けた格好 |
| チップとライセンスの抱き合わせ:「ライセンスを結ばないならチップも売らない」は独占の濫用 | 標的は Intel モデムの iPhone:ITC・ドイツ・中国で差止めを取りにいき、ドイツでは実際に一部機種が店頭から消えた |
| 報復:KFTC の調査に協力したら約10億ドルの支払いを止められた | 陪審評決:2019年3月、特許3件の侵害で約3,100万ドル |
決着を早めたのは、裁判の勝ち負けより代わりの供給元が消えたことだった、という見方が多い。Apple は5G対応の iPhone を出さなければならない。頼みの Intel は5Gモデムが間に合わない。和解と Intel の撤退が同じ日だったのは象徴的である。
二重取りなのか、端末価格を算定の基礎にしてよいのか——Apple が投げた論点は、判決が出る前に和解で消えた。報道では請求額の規模も双方とも数十億ドル単位だった(Qualcomm 側は委託先の未払いが80億ドル超、Apple 側は払いすぎた分が70〜90億ドル)。一方、Qualcomm が和解で受け取った一時収入は45〜47億ドルで、決算に計上されている。アナリスト(UBS)はこの数字から逆算して、支払総額を50〜60億ドル、今後のロイヤルティを iPhone 1台あたり8〜9ドル程度と推計した。
Apple が法廷で決着させなかった論点のうち、独禁法の部分には米国で答えが出た。2020年8月11日の第9巡回区控訴裁判所の判決である。
一審は、Qualcomm がモデムチップの市場で独占を不当に維持したと認定していた。全世界を対象に、チップ供給をライセンスの条件にするな、競合のチップメーカーにも FRAND 条件でライセンスせよ、と命じ、7年間の監視まで付けていた。控訴審はこれを全部取り消した。筋は一つで、競合のチップメーカーを締め出した証拠がなければ、独禁法違反にはならないというものだ。
判決の要約として最もよく引かれる一文は、“Hypercompetitive behavior is not”(過剰に競争的なだけの行為は違法ではない)である。同じ政府の中でも、司法省(DOJ)は控訴審で Qualcomm 側を支持する意見書を出していた。
| 国 | 最終的な結論 |
|---|---|
| 米国 | 2020年の控訴審で FTC が全面敗訴し、2021年に確定。独禁法違反なし |
| 韓国 | 2023年4月、大法院が KFTC の制裁(約1.03兆ウォン)を支持。競合チップメーカーへのライセンス拒絶と、チップ供給とライセンスの抱き合わせを違法と認定 |
| 日本 | 2019年3月、公正取引委員会が2009年の排除措置命令を審決で取り消し(公正な競争を妨げたと認めるに足る証拠がない) |
同じ「ライセンスなしならチップも売らない」方式に、国によって正反対の結論が出ている。2026年の更新は、この方式が米国で違法とされないまま残った世界で結ばれた契約だ、という前提で読む必要がある。
知財ビジネスモデル図鑑の「クアルコム」の回は、このモデルを「チップ販売+ライセンス料の二階建て」と書いた。2026年のニュースは、この二階建ての一階(チップ)が抜けても、二階(ライセンス)は残ることを示している。
Apple は2019年に Intel のモデム事業を買い、2025年から自社設計のモデムを iPhone に載せ始めた。チップの供給契約は2026年発売分までとされる。つまり Apple はチップは自分で作れるようになった。それでも特許ライセンスは、空白を一日も作らずに乗り継いだ。セルラー通信の標準を使う限り、その標準に必須な特許からは逃れられないからだ。
守+広——自社技術を標準に載せて普及させ(広)、その標準に必須な特許を握る(守)。普及そのものが課金基盤になる。
課金ポイントの選択——チップ(部品)ではなく端末(完成品)の段階でライセンスする。控訴審が「どの段階から取るかは特許権者が選べる」と認めたのは、まさにこの部分である。
縛り——FRAND 義務。ただし米国では、その違反は独禁法ではなく契約の問題として扱われることになった。
ティースの専有可能性の枠組み(理論編)で言えば、Qualcomm は補完資産(チップの製造・供給)を手放しても価値を刈り取れるところまで、レジームをタイトに保っている。通常、発明の価値は補完資産を持つ側に流れる。標準必須特許は、その流れに逆らえる数少ない装置だ。
| 図鑑のカード | 標準との関係 | 何で刈り取ったか |
|---|---|---|
| 📶 クアルコム | 標準に必須な特許を握る | ロイヤルティ(チップが抜けても残る) |
| 🔩 マブチモーター | 標準(規格)そのものを書く | 製品マージン(ロイヤルティを経由しない) |
| 💾 NAND(東芝) | 基本特許はあったが、どちらの型にも寄り切らなかった | 刈り取りの装置を他社に渡した |
| 📷 ポラロイド | 標準ではなく、独自方式 | 排除(差止めで市場から追い出す) |
ポラロイドとの対比も効く。2017〜19年の Qualcomm は、SEP ではない特許で差止めを取りにいった——ライセンスの交渉を、排除の脅しで支えたわけだ。標準の特許で「広く薄く取る」ことと、標準でない特許で「止める」ことを、一つのポートフォリオの中で使い分けている。
CDMA の基本特許 US 4,901,307 の第1クレーム原文と、「No License, No Chips」の課金モデルは、知財ビジネスモデル図鑑の「クアルコム」の回に収めています(この記事に合わせて、控訴審の逆転判決と2026年の更新を追記しました)。特許の書誌を構造化したデータは特許DBビュー、補完資産の議論はティースの専有可能性レジーム、FeliCa とドコモ側から見た通信業界の資本市場は時価総額クロスオーバーへ。
本稿は公開情報の整理であり、両社の契約内容や、各訴訟での主張の当否を評価するものではない。解釈の責任は筆者にある。